なぜ私が見切れ写真の家元を名乗るのか
見切れ写真の始まり
見切れ写真は私が始めたものではありません。昔から当たり前の様に存在していました。
2012年頃に、Facebookのウォールに友達が自画撮りを掲載することが多くなりました。
その写真の多くは顔がはみ出した見切れ写真だったのですが、何故かやけに興味を引く写真でした。
そのうち見切れ写真が仲間内で話題になり、自分たちも見切れ写真を撮影することにチャレンジしはじめたのですが、実際やってみると思った通りに見切るのが意外と難しいことに気づきました。
見切れ写真の魅力に目覚める
2013年の1月に札幌で仲間と試行錯誤しているうちに自由自在に見切れられるようになり、私が撮影する自画撮り写真のほとんどは見切れ写真になりました。
この頃はまだ見切れ技というものが存在せずしませんでした。
現在クォーターと呼ばれている技は、
3時の見切れ
9時の見切れ
ハーフと呼ばれている技は、
6時の見切れ
と呼ばれていました。
懐かしい思い出です。
コンセプトとコンテストから一気に拡大
2013年の3月に沖縄のリーディングファシリテーター、具志さんが青森市で「コンセプトのつくりかた」の読書会を開催してくれました。
その中で行ったコンセプトワークで、青森の仲間と悪のりしながら考えたのが見切れ写真のコンセプト
中央に人がいない記念写真
です。
読書会とほぼ同時にFacebook上で見切れ写真コンテストというネットイベントを開催しました。
https://www.facebook.com/events/221143824695051
思いつきで始めたこのイベントに、なんと60人もの方が参加してくださりました。
ちなみにその時の優勝作品がコチラ
このイベントをきっかけに、見切れ写真が進化を始めます。。
4つの基本技をはじめとする、見切れ技がどんどん増えて行きました。
その技のほとんどは私が名付けたものです。
マナーや見切れ写真用語なども整備されてきました。
他の写真にはない見切れ写真ならではの良さも見えてきました。
そして家元に
私が見切れ写真家元を名乗るのは
見切れ写真を体系化したのが私だから
です。
幸いにして、軽い気持ちで始めた私の「本気の遊び」に共感して一緒に遊んでくれる人が増えています。この記事を執筆している時点(2013年2月23日)で234名の方が、見切れ写真のfacebookグループに参加してくださっています。
皆さんが何の疑問も持たず、私を家元と呼んで下さることに、本当に感謝しています。
2014年の9月には、2回目となる見切れライブイベント(撮影会)を京都で開催する予定です。
それに向けて更に体系化を進め、見切れ写真を多くの人が楽しめる「本気の遊び」に育てていく所存であります。
見切れ写真愛好家交流グループに参加しませんか?
もしあなたがFacebookにアカウントを持っていて、見切れ写真に興味を持たれましたら、グループに参加して下さい。
日本中の見切りスト(見切れ写真愛好家)が写真を投稿し合っています。
どなたでもお気軽に御参加ください。